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其の伍 侵略の始まりか?

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其の伍 侵略の始まりか?
貿易を皮切りに、外国資本が我が国に駐留し始めてきました。有名なものは、長崎に籍をおいた、「マセソン商会」ですね、迎賓館の「グラバー邸」は有名です。繊維やお茶などの貿易だということで始まっていますが、やりたいのは、今も昔も同じで、武器ですね。
 このあと、坂本龍馬による、薩長同盟で武器が調達されてゆきます。更に、長州藩の若手五名がマセソン商会の資金で海外留学させてもらいます。いよいよ明治維新が起こりました。鎖国の時代が終わり、國が世界に向けて開かれてゆきます。幕府が倒され、明治政府が設立されました。長州藩の五名の登場です。
井上馨は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上勝は鉄道の、それぞれ「父」と言われています。我が国はどんどんと西欧列強に近づいてゆきます。軍隊も強くなりました。
 白人と戦をやってみないかと、そそのかされます。ロシアですね。軍備をするのに、国民に国債を買ってもらいます、まだ足りません、国費の30年分を用意しました。最後は高橋是清がイギリスからポンドで国債を買ってもらいました。ついでに 軍艦も売ってもらいました、軍艦三笠がそれですね。我が国には、ピクリン酸を使った下瀬火薬と伊集院信管があります。ロシアの武器はあまりにも非力です、高校時代の化学の平野先生は、我が国の火薬の破壊力は五倍と言われてました。久しぶりに思い出しましたね。しかもロシアバルチック艦隊はありえない餌食になる場所にいます。なんだか仕組まれているようなそんな感じさえ受けます。歴史とは時に作られたものがあるのは否めませんけど・・・。
とりあえず勝利しました、しかしながら敗戦国ロシアからは賠償金が取れませんでした、残るは国債の負債と、イギリスに借りた負債です。毎年国家本予算から返却をして、返済完了が1986年になっています。このあたりから信用が出てくるのですね、律儀で借りたものは耳を揃えてお返しするし、払えと言われれば気持ちよくお支払する国のイメージが出来上がってきます。

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其の四  元禄時代前の我が国の食事

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其の四  元禄時代前の我が国の食事
幸せだった我が国の元禄以前の食生活を見てみましょう。精米技術がないので、皆玄米を食べています。
石高一石は一反部の取れ高ですが、俵数に直すと二俵半です、現在の農法なら10俵から13俵もありですが我が国現存の農地は400万ヘクタール、昔の石高で言うと4000万人分ですが、収穫量は500%あるので 二億人分は作れますね、なんだか安心したでしょう?
話は戻り、当時の基本食は、一汁一菜でした。
玄米に、味噌汁に、漬物、梅干し、菜っ葉のおひたしなどでした。たまに魚ですね。
お肉はどうだったのでしょうか?牛肉をはじめて食べたのが、明治天皇様だと言われています。密かに食べていた人たちが居たとも言われていますが、その名残として、馬肉や鶏肉などと言わずに、さくら、ぼたん、かしわ、もみじと言っていました、今でも使いますね。
ザビエルたちが我が国に来て驚いたことの幾つかの中に、飛脚と、車夫、駕籠かきがいました。薄着でひたすら走っています。彼らのエネルギーのみなもとは食事だと考えました。見ると、塩むすび二個。おかずもなくお手頃な大きさです。おうちに戻ってから豪勢なご飯を食べていると思ったらしく、家について帰り、そのごちそうをよばれたのかどうかはわかりませんが、見て二度びっくり、先程の質素な一汁一菜でした、子育ての母親たちは子沢山で乳をたくさん出すと驚きの一節もありました。
 後に、ドイツの医師「ベルツ」によって実験がなされます。東京から日光までを車夫が一人で走破します。彼らを実験台にしました。試験車夫は、白人食を与えられ、対照車夫は塩むすびなど従来食です。もう結果は見えてますよね。白人食を与えられた、車夫は三日目に車が引けなくなり、食事を戻してほしいと願い出ています。私達民族には、民族にあった食事が正しいことが証明されています。これが牛だとすると、牛は草を食べて体を作り、乳を出しますが、動物蛋白などを与えると、その能力が遊んでしまい、脳にプリオンが出来てBSEを発症します。私達が普段なにげに撮っている食事、過食は、病気を作り出していると言われています。紀元前400年医学の祖「ヒポクラテス」はまとめた16か条に病気と医療と治癒と食事のことを記述して、とても参考になります。
この頃の我が国の食事が一番充実していた時期だと言われています。なぜでしょうか?
そう、想像通り、精米技術が江戸から発達してゆきます。江戸にゆくと白米が食べられます。銀シャリともいわれ、ごちそうのひとつですね。参勤交代で武士たちが江戸に常駐します。ところが、原因不明の病気にかかり、多くの武士たちが命を落としました。そう、「江戸患い」です。原因も治療法もわからず、故郷に戻れた武士たちは、治ってしまいます。白米食による、ビタミン不足の脚気ですね。今でこそ対処可能ですが、当時は難病とされていました。
これらのことを裏付ける記述があります、1970年合衆国大統領に就任した、ニクソンは癌の撲滅宣言をして、1兆ドルの予算を使いましたが、逆にがん患者発症数は増加しました。ときのマクガバン上院議員に調査団を組織させ、あらゆる病気の原因調査を行いました、結果は すべての病気の原因は、食にありました、動物蛋白、添加物、農薬などですが、当時の経済成長の妨げになる理由で、破棄されています。最後の結論は、世界で最も正しい食は、日本の元禄時代以前の食である、と締めくくられています、なんだか嬉しいデスね。
自然界を見てみましょう、古代人や野生動物には病気はありません、怪我や感染症はありましたけど。病気には全て原因があり、その結果が病気の発症だということは、これらのことから汲み取ることが出来たことだと思います。

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其の参  変えられようとする我が国

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其の参  変えられようとする我が国
「イゴよろしく」なんでしたっけ? 覚えてないけど、聞いた記憶があるでしょう。フランシスコ・ザビエルが我が国に来た年ですね。思い出しましたか?・・・この頃の我が国は、農業従事者構成は9割以上あったとされています。商業、工業、武士であっても、畑をやっていたと記述があります。
我が国のスケールです。尺貫法、長さは尺。これは 人の腕にある尺骨が約30センチだったので、尺。寸に尺、間に、町、里など、人の命が基準です。
面積では、坪、これはひとの生活に使用する面積からですね。反、一石を産出できる、田んぼの面積です。一石とは、一日三合のご飯を食べられると生きて行けます。一年間で1000合(一石)のコメがあればいいのですね。そう、田んぼは 一反あれば一人が生きて行けるのです。これも命からでた単位ですね。面白いでしょう?
この頃、地域社会は完成されていました。農村ではお互いが助け合い、楽しく暮らし、農業イベントでは、田植え、これは皆で唄を歌いながら、太鼓を叩きながら総出で植えました。唄や太鼓を叩いて田植えしない専属の人も居ました。
不公平も、善も悪もありません。年貢を納めますが、飢饉のときには、皆に放出します。お金の価値観もなく、子供は皆で育てます。セックスも自由で、夫婦の観念もなく、理想郷でした。セックスほど気持ちのよいものが、悪いなんて言うことは、ありえないですね。倫理観がそう植え付けられたのでしょうね。
そんな場所に、彼らはやってきました。奴隷を使う彼らに、土族である農民が楽しげにしていることが脅威でした。家を持ち、庭があり、台所があり、器を使った食事をしてそれぞれに分担があり、教育もありました。
彼らが話す、罪を背負って生まれ、絶対神がお許しくださることを子どもたちに話しても、おかしな話だね、と 取り合ってもらえませんでした。布教活動は難航していました。当時の宣教師たちにとって、難易度のたかい、民度が高すぎる、落とせない民族だったのでしょう。
彼らにはもう一つの目的がありました。貿易です。火薬を欲しがる武将たちはその条件に喜んで応えました。火薬一樽と若い女性の奴隷が50名の相場、この結果海外へ50万人の若い日本女性が奴隷として売られてゆく結果を残します。秀吉が伴天連禁止令を発令する根拠はこれだと言われていますが、我が国の教育では、教えることが出来ませんでした、戦後の我が国の教育内容を決める側と、お金の流れや、ザビエルたちのしたこととは出処がいっしょだからです。

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