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化学農法転換 其の三

話しがあらぬ方向へと行ってしまいますが わが国の歴史から 有機農業を辞めるに至る流れを知ることで 見えてくるかも知れませんので あえて・・ 気長に一〇回ぐらいに分けて 作られた時代のパラダイムが 解けるかも知れません

 花は紅 柳は緑

医は食に学び 食は農に学び 農は自然に学ぶ

科学が残した 負の遺産 そのわけを知りましょう

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.グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。

さらにヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。

ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。

いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。

明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなります。

初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができません。

そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせます。

自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し国を乗っ取ります。

彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結びます。

明治新政府はこのように創設されました。

しかし、所詮イギリスの後押しでできた傀儡政権ですから、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てきます。

そこで、内戦が起きます。

戊辰戦争を振り返って見ると、以上のようになります。

英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援します。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れます。

さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせます。


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